Capoeira History - 歴史
西暦1500年4月、ポルトガル人が初めてブラジルに上陸した年である。 当時のブラジル現地人の人口は、インド系先住民で百万人ぐらいだったとされている。 ポルトガル人はこれらのインド系先住民を奴隷化しようとしたが、捕獲するのが難しい上に、全く労働者に適していないことが分かった。 その結果、ポルトガル人はブラジルの地に大量のアフリカ人奴隷を連れてくることにした。 アフリカ人奴隷達の多くは、さとうきびの農場に送られ働かされた。 夜になると、奴隷達の多くは“センザ−ラ”と呼ばれるひどく不衛生な宿泊施設にすし詰め状態で閉じ込められた。
ポルトガル人の地主から自由になるために、様々な妨害にあいながらも、アフリカ人・インド人奴隷達は格闘技術を高めるための努力を日夜し続けた。
しかし、奴隷達は格闘技術を磨くことを禁止されており、しかも手かせ・足かせをつけられていたため、このような努力をすることは簡単なことではなかった。
様々な困難にもかかわらず、奴隷達は踊りや儀式に見せかけた工夫に富んだスタイルの格闘技を発達させた。
そこに音楽と歌が加わって全体図が完成し、カポエイラが生まれた。
カポエイラはその動きの中で、優雅なダンスやアクロバット的な動きから死に至らしめる格闘技へと変形することができる。
また、音楽には奴隷達へと向けられた自由と希望のメッセ−ジが含まれている。

西暦1888年、奴隷制はついに廃止されたが、奴隷達の記録のほとんどは破壊された。
奴隷の歴史を消そうとした行為が今日に至るまで残る悲劇となっている。
奴隷制の記録の破壊はカポエイラの起源や創始者を未だ不確かなものとしている。
カポエイラの練習をすることは犯罪となり、その罰は投獄か国外追放であった。
これによってカポエイリスタはジャングルや山の中・暗い路地裏など密やかにでも練習できる場所を見つけることを余儀なくされた。
ブラジルや世界のカポエイラのグル−プにとって、カポエイラをブラジルの文化と歴史の一部として受け入れられ尊敬されるまでにした二人の人物をカポエイラの開拓者としている。
メストレ・ビンバ(カポエイラ・ヘジョナウの創始者)とメストレ・パスチ−ニャ(カポエイラ・アンゴラのマスタ−)がその二人で、彼らは人々の助けによってカポエイラを政府に認めさせ、最終的にはブラジルの国技にまでした。
カポエイラが何年にもわたって様々な苦難や試練を乗り越えてきたことが、一人一人のカポエイリスタにそれぞれ自分なりの自由や平等を追い求め、手に入れるという信念を注ぎ込んでいるのである。